2021年8月24日から開催されている東京パラリンピック。
出場されている選手たちはどの様にして障がいを負うことになったのかが注目を集めています。
こちらの記事では田中愛美選手のプロフィールや障がいを負うきかっけとなった事故などについて調べてきましたので紹介していきたいと思います。
ぜひ最後までご覧ください。
もくじ
田中愛美(車いすテニス)について
プロフィール
田中愛美選手のプロフィールをご紹介したいと思います。
名前:田中 愛美 (たなか まなみ)
愛称:まなみん
生年月日:1996年6月10日
年齢:25歳
出身地:埼玉県所沢市
職業:車いすテニス選手
所属:ブリヂストンスポーツアリーナ
中学から始めた硬式テニス
中学受験の勉強期間に太ってしまい、制服を採寸する際に「キューピーちゃん体形ね」と言われたそうです。
(多感な10代になんてことを…)
そこで運動部に入ることを考え、テニス部に入部しました。
テニス経験者の入部が多かったそうで周りには内緒でテニススクールにも通い、その頃から悔しがり屋で周りに追いつこうと練習されていたそうです。
当時の実力は地区大会でベスト4位に入れないレベルだったそうですが、みんなで休みの日にも練習したり遠くまで試合をしに行ったり生活の大事な一部になっていたそうな。
キャプテンになったときは、新入生の名前を覚えるのが大変で。紙に全員の名前を書いて覚えていました(笑)
80人も所属する部でキャプテンも務めあげました。
自身の練習だけでなく、周りに対する努力もされていてきっと素敵なリーダーだったのでしょうね!
田中愛美が障がいを負うきっかけとなったのはどんな事故?
友達と一緒にテニスをするのが楽しくて高校でも続けていたそうですが、高校1年生の冬に自宅で怪我をしてしまいます。
自宅の凍った外階段で滑り、お尻から落ちて脊髄を損傷。4ヵ月に及んだ入院生活のなかで、田中は自身が両下肢のまひで、おへそから下を動かせなくなったことを知る。「もちろん受け入れられない時期もありました」
この怪我により今までの生活から一変、車いすが手放せないものになりました。
「また部活に戻りたい、友達と一緒にテニスがやりたい」という気持ちが一番にあり、顧問の先生に「どんな形でもいいから部活に参加させてほしい」と相談されたそうです。
すると顧問からは「どうせ戻るならプレーヤーとして戻ってきなさい。環境は作るから、テニスができるようになれ」と返ってきたそうです。
中島顧問は、「障がいがあってもやれることはたくさんあるし、希望を捨ててほしくなかった」と当時の思いを振り返る。
学校側も急遽、多目的トイレやスロープを作りました。
こうして田中愛美選手は部活だけでなく、普段の生活も今まで通り普通の女子高生として過ごされたそうです。
田中愛美がパラリンピックを目指すまで
私の高校はこれまで障がい者を受け入れたことがなくて、親はもちろん、顧問の先生や同級生、たくさんの方が私の高校復学、そして日々の生活を助けてくれました。
これまでに支えてきてくれた人たちに恩返しがしたいと思うようになり、自分には何ができるんだろうと考え続けたそうです。
そして「テニスで返すしかない」という答えに行き着いたそうです。
もし私がパラリンピックに出場できるような選手になれば、注目されるし、友達が私のことを周りに自慢できるかもしれない。そして、自分の頑張る姿が、誰かを勇気づけられるかもしれない。そんな思いから、東京2020パラリンピック出場を目指すことを決意しました。
たまたまブリヂストンテニスハウスがご自宅の近くにあったそうで、なんとか頼み込んで当初なかった車いすのレッスンをさせてもらっていたそうな。
その気持と行動力は誰にでも真似できるものではなくて、本当にすごいです。
そしてもっと強くなるため、上を目指すための環境として2016年にブリヂストンスポーツアリーナに入社されました。
田中愛美(車いすテニス)が障がいを負うきっかけとなった事故を解説 まとめ
今回は田中愛美選手のプロフィールや障がいを負うきかっけとなった事故などについてまとめてみました。
- 中学時代に始めた硬式テニスにドハマリ
- 高校1年の冬に自宅で滑り、脊髄を損傷し歩けなくなる
- 顧問や友達の助けがあり車いすでのテニスを続けた
- 周りに恩返しがしたくてパラリンピックを目指すようになった
私には想像できないような辛いことも沢山あったと思います。
でもきっと田中愛美選手が素敵な人だからこそ、周りも環境も力になってくれていたんだろうなと思いました。
これからの活躍も期待しています!
田中愛美選手からますます目が離せなくなりそうですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。